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zoom RSS 臥龍城と明智氏

<<   作成日時 : 2018/10/06 12:01  

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ネットで「臥龍城」と検索すると3つの城がヒットします。

・京都府福知山市の福知山城(別名 臥龍城)

・佐賀県鹿島市の臥龍城

・熊本県天草郡苓北町の富岡城(別名 臥龍城)

です。

このうち、 臥龍城の別名を持つ「福知山城」と「富岡城」には不思議な繋がりがあります。

京都府福知山市の「福知山城」は、天正7(1579)年に明智光秀が築城し、女婿の明智秀満を城代としました。
熊本県天草郡苓北町の「富岡城」は、慶長10年(1605年)に唐津城主・寺沢広高が築城し、七代目の城代が三宅籐兵衛でした。

三宅籐兵衛は、父が明智光春、母が明智光秀の娘とされており、明智光秀の孫にあたります(諸説あり)。
明智光春とは明智秀満のことであり、三宅弥平次と名乗っていたときもあったそうです。

つまり、臥龍城の別名を持つ2つの城の城代を親子が勤めたことになるのです。

偶然なのか、「福知山城」の別名を知る物が「富岡城」も臥龍城と呼ばせたのかは分かりませんが、どちらも、周りの景色が龍の形をしていることから名付けられたとされています。

織田信長を討った明智光秀と明智秀満は、羽柴(豊臣)秀吉により討伐されています。

三宅籐兵衛は、島原・天草一揆において益田四郎時貞(天草四郎)率いる一揆勢に敗れ自刃しています。
益田四郎時貞は、豊臣秀吉の家臣・小西行長に使えた益田好次(甚兵衛)の子ですので、三宅籐兵衛も豊臣氏に繋がる者に敗れています。

明智秀満と三宅籐兵衛は、ともに臥龍城の城代につき、豊臣氏やそれに繋がる者に敗れたのですから歴史とは不思議なものです。


三宅籐兵衛の墓は天草市本渡町広瀬に、供養塔が天草郡苓北町富岡の瑞林寺にあります。


瑞林寺の案内板(クリックで拡大します)
瑞林寺の案内板


富岡城と周りの風景(クリックで拡大します)
画像





2018年10月27・28日に「富岡城お城まつり」が開催されます。
各種イベントや絵画・写真コンテストがあります
詳細は→第2回富岡城お城祭り - 熊本県天草観光ガイド

28日は
熊本城おもてなし武将隊→http://kumamoto-bushoutai.com/topics/topics.cgi?pg=10
くまモン→http://kumamon-official.jp/schedule/schedule_contents?t_id=136349&t_year=2018&t_month=10&t_day=28
も出演します。

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